土用の丑とは

土用の丑の日といえば、うなぎを食べる日で、夏だけのことと思われていますが、実は年に4回あります。
中国の古い思想に陰陽行説というのがありますが、これは、宇宙は木火土金水の5元素(5行)から成るという考え方です。この5行を四季に当てはめる場合、春=木、夏=火、秋=金、冬=水を配すると、土が余ってしまいます。そこで、四季それぞれ90日あるうちの終わりの5分の1ずつを土に当てました。春は清明、夏は小暑、秋は寒露、冬は小寒のあと、いずれも13日目に土用に入り、18日で土用が開けて次の季節が始まります。この土用の期間中に土を犯すことは慎むべきこととされ、葬式などはこの期間中は延期されました。
丑は、12支の丑です。ですから、土用の丑の日は、土用期間中の丑の日ということです。 夏の土用の丑の日には、うなぎを食べたり、灸をすえたりすると丈夫になるという言い伝えがありますが、寒中の土用の丑の日には、口の中の虫を殺すという俗信から、特に口紅をつけたりする習慣がありました。
引用文献: (株)永岡書店「雑学のタネ本」より
土用の丑の日 日程
年 | 季節 | 土用の入 | 土用の明 | 土用の丑 | 二の丑 |
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2017 | 冬 | 01/17 | 02/03 | 01/26 | |
春 | 04/17 | 05/04 | 04/20 | 05/02 | |
夏 | 07/19 | 08/06 | 07/25 | 08/06 | |
秋 | 10/20 | 11/06 | 10/29 |
2018 | 冬 | 01/17 | 02/03 | 01/21 | 02/02 |
春 | 04/17 | 05/04 | 04/27 | ||
夏 | 07/20 | 08/06 | 07/20 | 08/01 | |
秋 | 10/20 | 11/06 | 10/24 | 11/05 |
土用の丑の日にうなぎ
土用の丑の日にうなぎを食べるのには諸説ございますので、ご案内いたします。
平賀源内 説
一番有名なのは、平賀源内。
江戸時代の蘭学者・発明家の平賀源内が土用の丑をうなぎの日にした元祖として知られています。
客足の少ないうなぎ屋から繁盛の妙案はないかと相談を持ち掛けられた平賀源内が「本日、土用丑の日」と店頭に掲げたところ、これが大当たりしてうなぎ屋は、大繁盛したそうです。
※ 文政5年(1882年)「明和誌」青山白峰著による。
春木屋善兵衛 説
文政年間(18818~29)に出版された「江戸買い物独り案内」という本に春木屋が「丑の日元祖」として紹介されています。
ある時、春木屋に神田和泉橋の藤堂(大名)のお屋敷から、旅に出るのに持っていきたいと大量の蒲焼の注文がありました。 春木屋の主人、春木屋善兵衛は、子の日、丑の日、寅の日の三日に分けてうなぎを焼き、土蔵に貯蔵して三日間置いたところ、丑の日に焼いたうなぎだけが、色合い、風味とも変わりませんでした。そこで丑の日に焼いたうなぎを藤堂様にお納めし、お褒めをいただいたそうです。それ以来、春木屋は「土用丑の元祖」の看板を上げたそうです。
※藤堂のお殿様ではなく、佐竹のお殿様との説や、春木屋善兵衛ではなく青木一馬と言う武士が武士を辞めうなぎ屋になりうなぎを献上したと言う説。また春木屋善兵衛と青木一馬は同一人物説(うなぎ屋になる際に春木屋善兵衛を名乗った)もあります。
大田蜀山人 説
江戸時代の狂歌師の蜀山人(大田南畝)が、神田川という鰻屋に頼まれ、「丑の日に、うなぎを食べたら病気にならない」という内容の狂歌を作って宣伝したことが始まりといわれています。
※ 天保10年(1839年) 「天保佳話 天保十年」劉会山大辺甫編による。
虚空蔵菩薩 説
うなぎと天然記念物の欄にもございますが、うなぎは虚空蔵菩薩の使途、召使い、化身と言われています。そんな虚空蔵菩薩は丑年と寅年生まれの人の守り本尊でもある事から、丑年生まれの人が虚空蔵菩薩に結び付けてうなぎ蒲焼きを宣伝したという説があります。